人は家によって育つ

『縄文の円心原理』には、伝統的な日本建築の写真を多数掲載させていただきました。
現代も建てられている日本の伝統的建築の美しさには、感動された方も多いのではないかと思います。

この写真のような『縄文の円心原理』のいくつかの写真は、日本の伝統的な建築を手掛ける建築家の一人である深田真さんの許可を得て惺々舎さんのホームページの写真を掲載させていただいたものです。

人は、家によって育ちます。
私の、そのような家への観点に共感くださって家を建てられた方は、今までにも多数おり、現在もお二人の方が建築中です。
そうした方のお一人が、奇しくも私が『縄文の円心原理』を出す以前に深田さんに連絡をとっており、そのやり取りの中での深田さんからのメールを見せていただき、私は感動させられました。

熱意と真心がひしひしと伝わる文面なのです。
その一部を、ご許可をえて、掲載させていただきますのでお読みいただけたらと思います。

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正直に申しまして、〇〇様のように惺々舎の仕事を評価してくださる方は、今の世の中ではとても少ないです。ですので、この御縁は私としてはできるだけ大事にさせていただきたいと感じております。お役に立てることがあれば、それは私にとってとても嬉しいことです。

蛇足にはなりますが、惺々舎がどのような思いを持ってこの仕事に取り組んでいるのか、改めてここでお伝えさせていただきたいと思います。少し長くなりますが、どうかお許し下さい。

惺々舎は、ひと昔前の日本の伝統的な家の作り方で家を建てています。ひと昔前の家の作り方というのは、自然と共に生きるための家作りであり、人が本当の意味で幸福に生きることのできる家作りです。

ひと昔前というのがいつ頃のことかと申しますと、1945年以前のことになります。つまり、第二次大戦の敗戦後にアメリカに占領され、そのライフスタイルに強い影響を受ける前のことです。

その頃までのこの国の暮らしは、電気と石油の消費量は、今の100分の1ほどでした。アメリカと戦争をする程度には近代化されていたとはいえ、それでもまだ自然と共に生きようとする意識が残されていました。

そして、それから77年が経ちました。
家の作り方も大きく変わりました。
建材のほぼすべては人工建材に変わりました。
木を接着剤で張り合わせた合板や集成材、化学塗料、石膏ボード、サイディング、断熱材、合成樹脂など。
何故そうなるのかといえば、人工建材で作る方が経済効率が遥かに良いからです。
工場で大量生産された人工建材を使えば、簡単に効率よく家を建てることが出来ます。現場では高度な技術が必要なくなるので、熟練の職人も必要ありません。簡単な機械工具さえあれば誰がやっても、早く安く、簡単に家を建てることが出来ます。

そのように作られる家であっても、お施主様の要求には十分に応えることが出来ます。むしろ早く安く作られることで、とても喜ばれます。

ただ少しだけ欠点があります。
感受性が豊かな人にとっては、人工建材は感覚的にあまり気持ちの良いものではありません。稀にアレルギー反応が出る人がいます。
もうひとつは、ほとんどの人工建材は化学物質を含み、有害な廃棄物となって自然環境を汚染します。人工建材の多くは、自然環境の中で完全には分解されず、大地に戻すことができないので、その多くは埋め立てなどに使われます。そしてマイクロプラスチックなどの形をもって、化学物質による大地・海洋・大気・地下水などの汚染が広がっています。環境汚染は、未来の世代の遺伝子を傷つけ、生存環境を脅かします。

この国は戦後、工業化社会となり、経済成長を遂げ、何でも安くモノを買うことができるようになりました。そしてとても物質的に豊かな社会を作ることができました。しかし、家を始め、それら商品のほとんどは、大きな工場で効率よく大量生産される工業製品です。そして、それらを作る工場や現場の労働者の多くは、今では非正規雇用の若者達で、将来の保証もなく、技術が身につくこともなく、仕事にやりがいを見出すこともできず、国際競争に勝つために安い賃金で機械の一部のように使い捨てにされています。多くの企業は競争に勝つために経済効率を上げなければならないので、安心して働くことの出来る労働環境を整えたり、人を育てる余裕がありません。

つまり、戦後77年を経て、今の社会はとても豊かになったように見えますが、限りある資源を大量に使い、環境を汚染し、現代の若者の労働環境の酷さを考えると、この豊かさは未来の世代にツケを回すことで成り立っているというのが実態であるように思います。
> そのような社会の中で、自然の素材を使って、職人の手作りで家を建てることは簡単ではありません。この20~30年で、多くの腕の良い職人が、後継者がいないまま廃業して行きました。
たとえ質の良い家を建てていても、実際には、大量生産されるハウスメーカーの家の価格と比較されるので、限界まで価格を落とさなければ注文が来ることはありません。また工期も、ハウスメーカーのような短期間での工期が求められてしまいます。

自然素材によって人の手仕事で作り上げる家と、人工素材によって工場で大量生産する家とでは、比較できない質の違いがあり、手間と所要時間に雲泥の差があるにも関わらず、同じ評価基準の中で価格と時間の比較が行われ、競わされてしまいます。

自然と共生する家を作り、人を育て、未来の世代にも幸福であって欲しいという思いを、この社会で実現することはとても難しいことです。惺々舎もギリギリのところで何とか踏みとどまっているというのが実情です。

そのような中で、少しでも未来に希望の持てる社会を作りたいという思いだけを持って、何の欲もなく、惺々舎に小さな希望を見出して、うちで弟子として修行したいと来てくれる若者がいます。そのような若者たちに私の心は救われています。

私どもがこのような様々な思いを持ちながら家を建てているということを、〇〇様にはお話ししておきたいと思いました。長々と申し訳ありません。

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深田さんのような建築家が、もっとたくさん生まれ、本来の日本の家のすばらしさに多くの人が目覚めたならば、日本は間違いなく好転することになると私は思うのです。

≪最古の伝統 & 未来の融合≫ – japanese-traditional ページ! (jimdofree.com)

☆『時を知る手帳 2024年』と『縄文暦 2024年』☆

 『時を知る手帳 2024年』と『縄文暦 2024年』が完成しております。
ご希望の方は下記事務局に問い合わせください。

ご参考に、最近いただいたメールを紹介させていただきます。

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(手帳エピソード)
今のページは「謙虚」という言葉で・・・
このページを見たとき、「あー自分には一番遠い言葉で、ちょっと難しいかもな・・」と
普段、誰よりもおしゃべりで、自分の感じたことを言葉にしていくのが好きな自分に謙虚は無理かもなあ・・と思いつつ
「世界一謙虚になれば・・」の言葉が気になって、「世界一謙虚ってどんなかんじなんだろう・・」と
好奇心だけは強く、「謙虚は無理・・」って思いつつも、時々心の中で「世界一謙虚」つぶやきながら探っていました。
今日、道を歩いている時も「世界一謙虚かあ・・・」とぼんやり歩いていると、急に自分よりも、周りの木や高層ビルや目に映る存在の方が
生き生きと存在している感覚になって、太陽の光がまぶしく強く自分に差し込んでくる感覚になって、自分のからだが透明人間みたいな感じでした。
「あれ?もしかしたら、謙虚って、自分がなくなって、そとの存在が自分のからだを通り過ぎるみたいなことなのかなあ・・」
「確かに、この感じは欲とかなんにもなくなるなあ・・ん?すべてが自分とつながっているからとても豊かで何にも不安がない・・え?」
とちょっと不思議な気持ちになっていました。
ほんの数十秒、そんな感覚になっただけです。
きっと相変わらず、謙虚とは縁遠い存在の自分なのだと思うのですが、これからも時々、「世界一謙虚」という言葉を思い浮かべてみようと思いました。
カレンダーの言葉のおかげです❤
ありがとうございました。

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以下、事務からです。

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☆『時を知る手帳 2024年』と『縄文暦 2024年』☆

お待たせいたしました!
今年も発売いたします!

今年は、この手帳のために、千賀先生から直接にいくつものお言葉をいただきました。
主に今年は、愛をテーマにしたお言葉を綴ってくださいました。
楽しみにしてください。
今まで買われたことのない方も、ぜひこの機会に!

また、縄文暦の写真には、宇宙法則メッセージ『縄文の円心原理』で千賀先生が紹介した植村さんのご自宅近くの神秘的な写真を載せさせていただいています。
以下、千賀先生からです。

『植村サトさんは、白山に抱かれる岐阜の雄大な大自然に暮らした方で、普通なら助かるはずのない危篤状態から何度も蘇り、念願であったご自宅に帰ることができ、その後に98歳で息を引き取りましたが、この奇跡的に回復した日には大自然をバックに雄大な虹が出て、ご自宅に帰ることができた日には、非常に神秘的な満月が出ています。』

ほんとうに、魂が洗われるような美しい写真です。
このような雄大な自然が人間の魂を育むのでしょうね。
ぜひご自宅に置いてほしいと思います。

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☆『時を知る手帳』

大きいサイズ(B6サイズ 2500円 送料・税込み)
小さいサイズ(A6サイズ 2200円 送料・税込み)
※わの舞の「相模原会場」でお受け取りの場合は、送料200円分をお値引きいたします。

手帳の詳細は、こちらをご覧ください↓
時を知る手帳と縄文暦
☆『縄文暦 2024年』 価格は3000円ですが、講習録一部(1000円のもの)とセットでも3000円(送料・税込み)です。 講習録をお読みになられたことがない方は、ぜひこの機会にどうぞ! 講習録の詳細は、こちらをご覧ください。
千賀一生の講習録
☆ご注文・お問い合わせ : わの舞事務局 jimukyoku.tao@gmail.com

地の神さまと縄文の円心原理

私たち現代人は、土や水を単なる物質として認識する傾向にあります。

しかし、一昔前の日本人にとって、大地も水も神でした。

水に関わる場所は、神さまの宿る場所として尊ばれました。

たとえば井戸も、水の神さまの宿る神聖な場所として祀られるのは通例でした。

 

私の生まれた地域には、地の神さまを祀る、昔からのしきたりがあます。

住まわせていただく土地を、神さまからの授かりものとして大切にする習わしです。

私たち人間がこの地球という星から誕生したことは誰も否定できない事実です。

人間だけでなく、すべての生命は驚異的叡智によって成立しています。

命も、私たち人類のような知性も、それを誕生させたのは地球というこの大地です。

 

私たちの通常の認識で土や水をイメージしてみてください。

この土や水を放置しておいたと考えてみてください。

水や土を放置しておいても、それが生命や人間になるとはイメージできないと思います。

このあたりに私たちの認識のずれがあるように思われてなりません。

 

私には、昔の祖先たちの水や大地に対するとらえ方の方が、より本質をとらえているように思われてなりません。

私たちの祖先は大地を、私たちを育む母なる存在として、私たちよりもむしろ上位に認識しました。

そのような共通認識がある時、大地は奪い合うものとはなりません。

国と国との領土の奪い合いの背後には、このような母なる存在としてのおそれおおい大地への認識が微塵も存在しなくなった人間たちの傲慢さがあるように思われてなりません。

 

私の育った地域の地の神さま信仰では、人は五十年すると住んでいたその大地と一つになるという考え方があります。

大地に還ると言われると、物質的な世界に還ってしまうむなしさをイメージしてしまうかもしれませんが、祖先の世界観においては、大地とは大いなる魂なのです。

私たちを育む大地に還るということは、大いなる魂と一つになることを意味するのです。

もともと人間は、大地の子という認識です。

 

いろんな意味で今、世界は不安定になりつつあります。

それを私たちは人間社会の枠内で解決しようとします。

しかし、現代社会の不安定さの根底にあるものは、この母なる大地を忘れた傲慢さにあるように思われてなりません。

大地が大いなる魂であり、神である世界では、人々は一つに和合し、争いは起きません。

その世界無二とも言える実例が縄文の円形集落です。

縄文の円形集落においては、人と人とが争った痕跡が見当たらず、殺害された人骨がみつかりません。

この時代、集落は基本的に円形に形成されていました。

これが、土地を所有物と見なすようになると、円形の認識は失われます。

ご承知のように、円形の土地ばかりでは、土地を合理的に分割することは不可能です。

大地を人間の所有物として分割しようとすれば、直線的に区切らざるを得なくなります。

逆に言えば、円形集落というものは、大地が所有物ではなかったことをほのめかします。

 

この私たちの大先輩の世界観は、新しい時代に入って完全に失われたわけではありません。

それが、連綿と受け継がれてきた信仰の一つが、地の神さまでもあると私は思っております。

私たちの日本文化には、他にも様々にこの大先輩たちの叡智の名残りを見ることができます。

 

10月11日に発売される『現代原理をくつがえす和の原点 縄文の円心原理』は、この現代の私たちに引き継がれていながらもなかなか気付くことができないそれらの叡智を探究した本です。

歴史と言えば、私たちは権力者の歴史ばかりを学ばされてきたような気がします。

そして権力者ばかりに人々は憧れてきたように思います。

しかし、私たちが学ぶべき大切な歴史は、他のところにあるのではないでしょうか。

 

権力者の歴史の下で、民衆の間に連綿と受け継がれてきた歴史の遺産が日本には存在します。

この本ではうつろいゆく権力者の歴史ではない持続的な本当の歴史を綴ることができたと思っています。

 

(最初の写真は、私の地域に受け継がれる地の神さまの実際の写真。

毎年12月15日に必ず壊し、各家庭で新しく作りかえるしきたりです。

かなりの手間が必要です。

わざわざ手間隙かけ、行動に表すことで、大地を敬う意識が定着する知恵なのだと思います。

現代は生活の利便性のみが優先され、一見合理的です。

しかし、人間らしい精神性を失った生活は、いつかは行き詰まります。

より本質では決して合理的とは言えないのかもしれません。

これに似た習わしは、古い文化が残る沖縄地方の一部にも見られます。)

 

 

タオコード友の会

新しい会を作りました。

タオコード友の会です。性をテーマにした会です。

タオコードに共感してくださった方々からのご要望を受けての会なのですが、下記note記事に共感くださった方であれば、読者でなくてもOKの会です。

記事内の特典が入会案内となっております。
すでに入会くださった方々からいただいたメッセージを紹介させていただきます。

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noteの記事の公開、またこのような会の企画、
ありがとうございます。
このようなご縁をいただけていることに、心から感謝しております。

noteの記事を読み、
初めてタオコードを読んだときのことを思い出しました。

当時、水を得た魚のように一息で読み終え

なんだかわたしが知っている世界を言語化していただけたようで
飛び上がるくらいうれしく、
全身の血がめぐり
ワクワクが止まらなかったことを記憶しています。

今回もそのような感覚がわき出てきました。

かすかに残る記憶を呼びおこしていただいているような
懐かしいような、あたらしいような、あたたかいような
なんだか不思議な気分でもあります。

これまでずっとずっと、探していた場所のようで・・・

生きているという体感と、その深いよろこびを
ありありと感じております。

うまく表現できないことがもどかしいのですが

同じ価値観を持つ方との交流の中で
自分のなかに眠るものをまた見つけていきたいと思います。

ほんとうに、ありがとうございます。

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千賀先生、はじめまして。特典の「タオコード友の会」をありがとうございます。
「タオコード」の本から先生のことを知り、メールやnoteを読ませていただいています。「タオコード」の世界観がとても好きで、深く共感しています。先生のメッセージでも同じような方を紹介されていましたが、わたしも、庭のライラックが咲いて蝶や蜂たちが飛び回っている様子や、朝つゆに濡れる木々とその空氣感とか、眺め感じているだけでうっとりと感応し官能します。生命の悦びのうちに日々を過ごせていることや、性エネルギーについても先生の本やノートを読むにつけ理解が深まってきた、と自分自身に対して感じられること、それらがとても有り難きしあわせです。感謝しています。

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いつも宝物のような言葉たちを本当にどうもありがとうございます。感想を書きたくても言葉がまとまらないほど魂が震えています。皆さんと語り合える場をご用意いいただけるなんて、本当に幸せです。どうぞよろしくお願いします。

0フォース HIKIへの想い

メルマガの登録に、メッセージを書く欄を追加したところ、みなさんいろいろ書いてくださり、ありがたい言葉をたくさんいただいております。

そんなメッセージの一つを紹介させていただきます。

0フォースをお読みくださったことがきっかけで、つい先日メルマガに登録してくださった、木葉 (きよ)さんからのメッセージです。

私が0フォースで伝えたかった通りのことを感じてくださっていて、
文章も透明感にあふれ、読んでいてとても気持ちのいいものを感じ、うれしくなりました。

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千賀さん、はじめまして。

千賀さんとの出会いは “0フォース” でした。
縄文というワードに何故か惹かれていた、
そんなときでした。
あの本の世界が大好きでした。
引き込まれるように没頭して読みきりました。
そしてあの場におられるHIKIさん。
私、ずっと木が好きで、運転していてもキョロキョロと好みの木を探すのが常で。
HIKIさんの存在を知ったときに、もう涙が溢れでてきまして、
ずっと私の奥が求めていた存在はこれだ!
って、やっと出逢えた、って心が震えました。
それから妖精になったつもりでHIKIさんに会いにいっては癒され満たされ、現実世界に戻ってきます。魂の拠り所となりました。

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実は、0フォースの中で、私が一番苦心して書いた箇所がHIKIの最初の描写でした。
観ているビジョン通りに描くのがとても難しく、たくさん時間を費やしました。

それは、私が一番伝えたい場面でもあったからです。
これは、木との交流経験がなければわからないかもしれないと思いつつ、
それでも伝えたくて、、、

その経験のある方が、その感想を書いてくれたら、それによって木々との交流感覚が蘇る人もいるだろうとも思っていました。
木葉さんのような人が現れてくれることを期待していたのだと思います。

木々と交感できる人ばかりの人類になったら、世界はきっと平和になると私は思っています。

交感できることが本来なのに、それを忘れ去り、平気で自然界を壊す人々は、
人間同士においても、同じことをします。

現代の人間は、木々を自分たちより下位の存在と見ているけれど、そうではないはず。
男性も女性も、あまりに男性原理的になってしまっているのを感じます。

私たちよりも、ずっと先輩の木々たちに、へりくだる心が縄文の人々にはありました。

ガイアの法則の論理性ばかりに着目する人が多いけれど、
私にとって、それはちっぽけなものでしかありません。

もっと真に大きな真理に着目してほしい。
いつもそう思っています。

木葉さんからのメッセージは、私にとって大きな希望に感じられました。

 

(補足)
掲載許可を求めた私への木葉さんからの返信メールも、ほんとうに透明感あふれ、感動させられました。
一部を紹介させていただきますね。

『頂きましたメールですが、
ちょうど緑がいっぱいの公園で
葉っぱの揺する音、
水の流れる音、
鳥たちのおしゃべり、
そして風を感じながら 拝読していました。』

『HIKIさんの存在は勿論のこと、
0フォースを読み終えたときに浮かんだことは
この縄文時代に生きたこの方達の血が
巡りめぐって、今のわたしの中にも生き続けているということ、
そのリアルな感覚体験といいますか…』

読んでいて、ときめきます。
言葉にはリズムがあります。
私はいつも、意味内容よりも、リズムに着目します。
リズムは嘘をつけません。
その人そのものが出ます。
その人と交流したかったら、表面上の意味よりも、そこに表れた波動と交流すること。
言葉も、木々との交流と同じですね。

 

現代にこそ大切なもの

こちらは、最近、宇宙法則メッセージに発信したものですが、啓発されたという方が多いため、こちらにも掲載させていただきます。

 

最近のメールのやりとりの中で、こんなお言葉をいただき、私は大変うれしく思いました。

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千賀先生からのメッセージが繰り返し何度も届くことでとても救われていて、

1度読んでハッとしても時間がたつとつい今までの日常に戻ってしまうし、

何度も前のメールを見直すこともしないので、定期的にいろんなメッセージを送っていただけることで、

その度に、そうだった!と思えて以前よりは少し変われた気がします。

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内容が、まさに私がメルマガで目的としていることでしたので、とてもうれしい気持ちになりました。
また、その姿勢にも感動しました。

私たちにありがちな、「これは一度読んだから知っている」という思いが、曲者なのです。
大切なのは、知っているかどうかではありません。

現代教育により、私たちは誰もが知識第一に育っています。
知識を得ることが学びであると観念づけられています。

しかし、知識を増やし、観念を増大させることは、魂の成長なわけではありません。

この傾向は、人としての感性や人間性に影響を与えています。
この、知識や観念偏重こそが、温かな人としての心を蝕んでいる現状があるのです。

昔の日本に窃盗が稀だったのも、昔の日本がそうではなかったことと無縁ではないでしょう。
自然な環境に育つ人間は、知識や観念偏重にはならないものです。

現代では、精神的な学びをしている方々の中にさえ、同じ傾向が見受けられます。
真に心の成長を目指すならば、知識よりも、実践や定着こそが重要であることは言うまでもありません。

人としての進歩が真に感じられる方は、新しい情報に次々に飛びついてはいないものです。
継続性や繰り返し、を重視している方が成長する典型タイプの人です。

新しいスピリチュアル情報などに次々に飛びつく心理は、依存症心理の場合が少なくありません。
その刺激がないと落ち着かなくなるのです。
ドラッグと同じですよね。
最初は自身の成長のためと思っていたのに、いつの間にか依存症に陥っていたという人も少なくありません。

このメルマガは、そんな現代教育や現代のスピリチュアル界などにみられる現状とは逆行する発想のものです。
同じ真理をいかに実際に定着させられるのかを意図しています。

『以前よりは少し変われた』
とありますが、これこそが至上の価値ある努力と私は思います。
「これは知っているから」を超えた謙虚な姿勢が、それを達成させているのであると思います。

これは、実在に生きるのか、観念に生きるのかの違いです。
『今』に生き、『実在』を基準に生きているかどうかです。

劇的な刺激による変化は、元にもどってしまう時が必ず来るものです。
大切なことは、昔から言われているものです。

千里の道も一歩より
継続は力なり
ですね。

こうした人の姿こそ、とても尊く私には見えます。

 

タオ・コード英訳本

メルマガでは以前に紹介しましたが、英訳のタオコードが出版されています。

こちらでも紹介しておきます。

英訳タオコードは、アメリカのユング心理学を専門にした出版社から出版されています。

Home – Chiron Publications

序文は、海外のユング派分析家の方が書いてくださっていますが、中国思想に精通している方で、学術的観点から評価くださっています。
また、序文の依頼を受けた時、ちょうど彼はタオコードの舞台となった雲南省南部山脈地帯に向かう最中で、そこで起きたシンクロにふれてくださっています。

下記は、その部分の和訳です。

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「シンクロニシティ」についてお話ししましょう。
Kiyose Hiromi がこの The Code of “Laozi”の翻訳を私に送り、序⽂を書いて欲しいと依頼してきたとき、私はこの本で描かれている中国南部の⼭脈地域に向かおうとしていました。
ミャオ族の村と Dong 地域と、外部の⼈たちには未だ開かれていない、古代からある⼭奥のいくつかの村へ、です。
私は、The Code of “Laozi”と A.Cheng の“Luoshu Hetu”(易経の元々の形のもの)を携えてでかけました。

ここでは、⼈々は⾃然と調和しており、無垢で素朴です。
⼭々は⾼く、川は⻑く、空気は⿃の鳴き声と花の⾹に満ちています。
古い⽊々は森となり、“朝顔”はまさに夜明けの美しさを運んできます。
⼤⼈は働き、⽥畑を耕し、織物をしています。
⼦どもは遊び、⽝や猫はともにいます。
どこをみても、全てがデジャブです。
まるで私たちは以前会ったことがあるかのように、⼼からの笑顔をお互いに交わします。
⼣⽅⽇が沈んだ後、森の中を歩いていると、⽉の光が私を包み、それはまるで夢の中のようです。
⼼と魂のトランスのような何かです。

Kazuki Chiga の The Code of “Laozi”の中で描かれているのに似た⾵景が、そこにありました。
⾃然の中の調和と調和の中にある⾃然、これが真に、⽼⼦の思想や『道徳経』の具現化されたものです。

゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜

私たちが知る人間や人間社会とは別種の世界の香りを携えた世界が、まだ中国には健在なようですね。
人類の宝であると私は思っています。

世界の様々な先住民などを私は訪ねましたが、私にとって、中国大陸の少数民族ほどしっくりと魂に響く人々は他にいませんでした。

少数民族と言うと、中国の中のごく少数をイメージしてしまいますが、実は、中国には多数の少数民族があり、少数民族であることを名乗らないことが多いため、中国の人々の大半は少数民族出身と言っても過言ではなく、感性豊かでやさしい方が多いです。
マスコミの作るイメージに惑わされないようにしたいものですね。

翻訳者の廣瀬さんがユング関係のサイトでインタビューを受けていますので、ご覧いただけたらと思います。

https://speakingofjung.com/podcast/2022/4/8/episode-108-kiyomi-hirose

序文

時を知る手帳と縄文暦

縄文暦と時を知る手帳を今年も販売します。

時を知る手帳は、ご要望にお応えして、西洋暦も加えた大き目の版もお作りしました。
ページごとの私の言葉も、すべて新しい内容としてくださり、昨年とは異なる内容です。

◎「時を知る手帳」

昨年、ご好評いただきました、縄文カレンダーの手帳版「時を知る手帳」を今年も販売したいと思います。

今年は、ご要望を受けまして、サイズを2種類ご用意しました。
①昨年と同様のもの(A6サイズ、113ページ)。2200円
②昨年より一回り大きいもの(B6サイズ、西洋暦のページを追加、140ページ)。2500円

なお、②はご注文をいただいてからの印刷となります(予約制)。

~ 手帳を作成するにあたって ~ より

「宇宙と共に生きることほど、強い生き方はありません。
日々、できるだけ軸を保った生き方を送れたらと思い、この手帳を作成しました。
日々のページに、千賀先生から教えていただいたメッセージを抜粋し、散りばめました。

太古の人は、心を込めた物には魂が宿るとされてきました。
日々この手帳を通して、大切に神様と会話するように用いてくださったとしたら、この手帳に魂が宿り、神さまからのメッセージが届きやすくな
るかと思います。
神様との会話のきっかけにもしていただけたらありがたいです。」

書店のない田舎育ちの私は、幼稚園のおわりに祖母が一日かけて国語の辞書を町まで買いに行ってくれたのですが、その辞書を、私は今も使っています。
辞書が私を守り導いている気がします。この辞書を大切にしていなかったとしたら、今の自分はない気がするのです。

いつも手にするかけがえのない神さまのような友をもつこと。
大切にしたものは、決して人を裏切りません。
この手帳を、そんな魂の友としていただけたら、と思って私は監修させていただきました。

わの舞会場での販売は、相模原会場のみで販売致します。
会場販売では、2000円、2300円になります。

少部数の制作ですので、品切れになる可能性があります。
ご注文はお早めにお願いします。

◎「縄文暦 2023年」と「講習録」

縄文暦は、正確な太陽周期で生活していた縄文の人々と同じ時間感覚で生活可能なカレンダーです。
一年が宇宙のリズム16ビートで成立しています。

一部3000円ですが、講習録との同時注文、および、わの舞講習会会場では2000円で販売しています。

講習録は、一冊からご注文できます。
ご参考までに、縄文歴について説明された講習録は【91】番となります(1000円)。
講習録の目次の一覧を添付しておきますのでご参照ください。
講習録は、どなたも参考になる内容を厳選してあります。

 

郵送での注文のご希望の方は、下記事務局のアドレスに「お名前、電話番号、ご住所、ご注文内容、各部数」を送信して下さい。
追ってお振込み方法などお伝えいたします。送料は、合計金額が3000円以上の場合、無料となりますが、3000円未満の場合、370円(手帳1冊
の場合は200円)が別途必要となります。

jimukyoku.tao@gmail.com

返信に数日かかることもあります。もしも5日以上返信がない場合はメール事故の場合もありますので、再度ご連絡ください。

 

≪昨年購入くださった方々からのメッセージ>

手帳に神様が宿っている!
そう思いました。

珠玉の言葉の数々に魂が揺さぶられ、自然と姿勢が正されます。

手帳を開いたときに、ぱ〜〜っとティンカーベルのような妖精さんが舞出てきたような、清々しく喜びに満ちた気を感じ、私の背中にも透明な羽が付いたような気分になりました。

手にした瞬間 柔らかな温もりを感じました!
大切に使わせて頂きます。

読んでいるだけでこころが救われる思いです。
大切に手帳とともに過ごします。

とても可愛らしい手帳で
記入するのが勿体ないぐらいです
楽しみながら手帳を大事にしていきたいと思います。

早速この手帳が自分のお守りのように何か導いてくれているように感じます。
制作スタッフの皆様、事務局の皆様、ありがとうございます。
大切に使わせていただきます。

ページの下のメッセージが心に沁みます。
大切に使っていきたいと思います。

 

欠点が光を放つ動画

最近感動した動画を紹介したいと思います。

小学校で踊れる踊りはありませんかという要望があり、あるアニメソングでの踊りを思いつきました。そのアニメソングは「残酷な天使のテーゼ」という曲です。

そのアニメ自体には関心はありませんが、私はこの曲の歌詞に感心していたからです。

親子の関係には二元性が働くものですが、その二元性こそが、時を超えた一元性を成立させる。それが短い詩の中に感覚的にとらえており、その感性に感心しました。

最初にこの歌を聴いた時、涙が出ました。

おばあちゃん子で育った私は、祖母の私への思いと重なり、また、私自身の息子への思いと重なったからです。

とくに「この宇宙を抱いて輝く 少年よ 神話になれ」のセリフは胸を打ちます。

ぜひご存知のない方は一度お聴きただけたらと思います。

様々な方がこの歌をうたっているのをネットで見ていたら、別な意味で衝撃的に感動させられた動画に出会いました。

最初、おゃ、と思うかもしれませんが、見ていると、この人は半端じゃない、とわかる人は思うことと思います。

私は、こんな人が現実にいるんだと、目が覚めるような感動を味わいました。

自意識のブレーキがまったくかかっていない!

人の視線に対する恐怖心がない!

ふつうの人は、ちょっとうまくゆかないと、比較意識が働いて、尻込みしてしまうものですよね。それが微塵もない人っているんですね。最強の精神力だなぁと思いました。

通常は、音程を外せば歌は気持ち悪いものになります。でも、この方の歌は何か別な次元に引き込まれます。

なんだかわからないけれど、何かが解放され、気分はすっきりしたと感じる人も多いのではと思います。心に闇があっても、吹き飛んでなくなるんじゃないかと思えてくるものがあります。

ある意味で本物の芸術、枠組みを突き破った人間芸術だなぁと、衝撃的に思えました。

どんな方なのかと他の動画を見て、驚きました。

この長野じゅりあさん、何と、空手の元世界チャンピオンでした。

やはり、この半端なさはそうですよね!

一つの道を極めた人でした。人間としての、強い軸力。

さすがに、型の演武もすばらしいです。

型は踊りにも通ずるものがあります。

実際、琉球舞踊は空手の型から生まれましたし、私の踊りにも空手の型と本質的に同一のものが流れています。

でも、この歌は私には型以上に衝撃的だったなぁ。。。

ちなみに、こんなのもありました。素晴らしい解放感!

羽生結弦に見る芸術の力

スポーツの世界は競争世界です。
競争世界のそのものと言ってもいいと思います。

そんな過酷な世界の中から、
競争(対立性)とは正反対の世界が生まれる。
私は、フィギュアスケートの羽生結弦選手にそんな感動を感じてきました。

私の子供のころの夢の一つは、フィギュアスケートの選手になることでした。
その頃はまだ、フィギュアスケートは今のように注目されているスポーツではありませんでした。

その頃に漠然と描いていた夢を、
自身のかわりに現実にしてくれているかのようで、
私は、羽生選手の生き方に共感してきました。

羽生さんの海外のファンは、他のどの国よりも中国のファンが多い。
これは、ほんとうに驚きであると思います。

政治世界では最も対立的になってしまった日本と中国であるにも関わらず、
そんなことはまったく関係なく、日本人の羽生選手を応援してくれる中国の人々。
実に対照的世界を感じます。

通常ならば最もファンが少ないはずの中国なのに、
羽生さんの芸術性を、どの国よりもまっすぐに見つめてくれる中国のファンたち。

その流れを生み出した、震災で故郷を失った経験をもつ羽生さんの、
すべての人々を幸せにしたいという想いと感性。

相互の響き合いが美しい!

フィギュアスケートという枠を超え、その全体の関係性が、
広大な芸術のように私には感じられます。

真の芸術は、人類規模の芸術作品を生み出すのだと思います。

ますます、プロとしての今後のご活躍を期待したいです。