恐怖への向かい方で、未来は良くも悪くもなる
「生き方を学んで人生を改善しようとしてきたけど、振り返ると何も変わっていない」
そのように言う人に私はたくさん出会ってきました。
そうした中で、いくつかのパターンを私は見出しています。
その一つは、恐怖心への向かい方の錯誤です。
恐怖心や不安感はマイナスエネルギーだから、それから遠ざからなければ…
と、それを感じるものから目をそらし、見なかったことにしようとしている人が多いのです。
さも正しそうに見えますが、これは、二元論的発想の典型です。
不要なものは切って捨てればいいという、短絡的な手術にも似た、善悪二元論なのです。
人間の体に自然治癒能力があるのと似て、私たちの意識には、『危機回避能力』が、備わっています。
人間は誰もが人生上の事故、すなわち、様々なうまくいかない出来事、悲惨な出来事に遭遇します。これは確率的に当然のことです。
しかし、人間には、自然治癒能力と同じように、これをあらかじめ避ける能力(危機回避能力)が備わっています。
これが正常に働けば、人生上の事故は避けられるわけですが、上記のような、切り捨て的あり方は、その力を放棄させてしまいます。
(このような状況の改善を意識して書いた本が『タオの法則』です。とくに五章など参照ください。)
マイナスの事象に対してエゴが反応し、心が揺らぐ時、それは恐怖心や不安感になります。
それはたしかにマイナスの力を放ちます。
しかし、軸のある人は、その同じ対象に直面しても、恐怖や不安ではなく、不動の心で向かい合うことができます。
この時には、単にマイナスにならないだけでなく、それ以上の働きが生じます。
それが『危機回避能力』です。
これが働くと、前方をしっかり見ながら行う運転のように、人生は本人の必要とするところに進んでゆくものです。
意識の世界には、ハナせばハナれる、という法則が働きます。
起きてほしくない予感を感じた時、それが起こるのではないかと一人でびくびくしていると、そうなってしまうことが意外に多いものです。しかし、その起きてほしくない予感をたくさん人に話すと、それが現実になることはなぜか少なくなるという経験はありませんか?
たくさんの人に話すことで複数の人の意識がその対象に焦点を結び、その出来事への路線を変容させるからであると考えられています。
いくつかの未来を当ててきた人が、何月何日に地震が起こると表明し、それまでは一部の人しか知らなかったのに世界中がそれに注目し、その日が来ると何も起こらなかったということもよくあります。良い予感は実現するまでは人に話さない方がよいと言われるのも、同じ理由によるものです。
地球は、太陽系としっかりとかみ合うから、小宇宙として成立します。これと同様に、現実世界にかみ合うことにより、『軸』、すなわち、「宇宙と共振する自身の中枢」は働き始めます。(軸についてはDVDの『タオの宇宙を極める』などを参照下さい)
その対象を本気で直視しさえすれば、その回避は、「宇宙と共振する中枢」が自動で行ってくれるものであり、その性質は、自然治癒力と非常によく似ています。 本来、意識は、情報を受けると、自動的にその人に必要な状態をつくりあげるものですが、恐怖などの二元意識に至るとその逆作用をもたらします。
まとめると、マイナス情報をキャッチした場合、次のように言えます。
・二元次元にある人(エゴ優位の状態) =それを引き寄せてしまう
・一元次元にある人(軸が働いている人)=それを回避する
この宇宙には不要なものは存在しません。
不安感さえも、視点を変えれば必要ゆえに存在しています。
自然治癒能力が失われれば病気になってしまうのと同様、この力が働かなければ人生上の問題が多発するのは当然のことと言えましょう。
自動車の運転で習うことに、「かもしれない」運転というのがあります。
あの道から子供が飛び出てくるかもしれない、といった危険をあらかじめ察知して運転をするから、事故を回避できます。それをしなかったとしたら、当然ですが事故は増大してしまうのと似ています。
かもしれない運転をしたら、マイナスイメージはマイナス現象を引き寄せてしまうので、と行わない運転をしていたら事故にあってしまったという、笑い話のような本当の話があります。
しかし、人生上では、これを行っている人が多いのです。
社会の中に苦しんでいる人たちがいても、そこに意識を向けると不安が生ずるからという狭い意識の生き方をすべての人がしたとしたならば、どうでしょう。
私たちの社会は自分勝手なばらばらな社会になってしまいます。
私たちが社会のマイナス面に意識を向ける時、私たちの集合意識は集団軸を結び、危機回避能力が働き始めます。
次に提供する情報は、以上をご理解の上、恐怖ではなく、純粋に一元意識で注視していただけたらと思います。
101年前とあまりによく似た日本の近年の歩み
以前、コロナに関して、ガイアの法則から割り出される101年周期(歳差運動から割り出される1611年サイクルの1/16周期)についてふれました。
今も不自由な生活が強いられている私たちですが、コロナからちょうど101年前に、スペイン風と呼ばれた感染病の地球規模の蔓延により、世界中が不自由な生活に追い込まれました。
さて、日本で最大級の影響をもつ人物が射撃されるという、日本ではあり得ないような悲劇が起きた今年2022年ですが、今年から101年前を見てみましょう。
少し怖くなるほどの歴史が存在するのです。
今年から101年前、それは1921年です。
この年に起きた衝撃の事件があります。
それは、当時の総理大臣・原敬がほとんど即死状態で暗殺されるという、日本では前例のなかった大事件です。
この事件は、被害者が当時の日本で最大級の影響をもつ人物であり、その場でほぼ死亡状態に至ったこと、それが組織的なものではなく、社会の不合理に加担したことを許せない単独犯であること、重大な事件を起こすようには見えない物静かな細面の犯人像なども今回の事件と共通しています。
原敬暗殺犯の中岡 艮一
しかも、出来事だけでなく、詳細は省きますが、その背景となる社会の考え方、方向性、方針などの変化も、101年前とそっくりの変化をたどっています。
今後の流れが気になるところですね。
101年前とその後の日本は、国は強権性を強め、民衆の価値観も強い二元的方向へと誘導され、気付いた時には上意下達式社会となってしまい、悲惨な戦争へと進みました。
今、日本との関係が最も危険な関係となりつつある国は中国です。
前周期では、その後、最初に戦った国が中国でした。1931年、ついで1937年と、中国との戦争へと進み、さらに悲惨な大戦へと突入しています。
経済の上でも、1927年に金融恐慌、1929年に世界恐慌へと至っていますが、私たちも今、パンデミックやロシア・ウクライナの戦争などにより、大変な経済の不安状態に直面しており、類似の状態に至ることが危惧されています。
また、政治と宗教の癒着も今日の状況とそっくりで、100年前の日本も政治と宗教団体が強い結びつきを形成していました。 (『日本の戦争と宗教1899ー1945』 小川原正道著 講談社 などが参考になると思います)
そして、その結びつきが、日本を軍国主義へと推し進めました。
このように、これは、局部的一致ではないのです。
社会情勢全体に高い一致が見られ、私たちの社会は同じような路線を歩んでいるのがわかります。
(もちろん、歴史は機械的に繰り返されるものではありませんが、101年周期は、世紀末現象といわれてきた周期と同一と思われ、昔から存在する周期ではありますが、ことに前回のサイクルと今回のサイクルは高い一致が見られます。
なぜ前回と今回の一致が濃厚であるかについては、次のように私は推測しています。
歴史には元々、同じパターンが繰り返される性質があります。
前回の周期は、日本が近代化して初めての周期であり、一度フラットになった状態から新たなパターンが形成された最初の周期です。
そのため、新たな長期周期の最初のパターンとして、強い影響力もっているのではないでしょうか。世界的にも前回の周期は人類が地球規模で活動を開始した初めての時代であり、世界規模でも新しい世界の始まりでした。)
日本には、新文明焦点として、世界を真に一つに調和させる役割があると私は思っています。
しかし、ジャンプの前には踏み込みがあるように、社会も、飛躍の前には必ず沈み込み現象が起こります。
日本はその期間にすでに入っており、2048年までがその期間にあたると私は以前から分析しています。 (2012年から入り、2021年から本格的な段階に入っている)
とくに警戒すべきは、社会のメンタル(社会観念)の符合です。
歴史は、社会のメンタルが形成され、それが現象となって進行します。
現在のメンタルが前周期と同一であることは、現象も同一となるであろうことを意味します。
周期通りに進めば、私たち日本人は再びこの同じサイクルに戦場に導かれることを、周期は警告しているように私は感じます。
ウクライナのような戦場となる悲劇は、決して他人事ではありません。
そこに繋がるような事象に、意識の目を注ぐことが、今、必要です。
真に調和的地球社会に至るためには
私たちには誰もが社会という全体性から恩恵を受けています。それと同時に、その全体性に責任を負っています。今現在の私たちの思いや行動によって未来の人々の幸せは、大きく左右されます。私たちの子孫が幸せな日々を送れるのか、それとも死と隣り合わせの悲惨な未来に直面するのか、それは現在の私たちにかかっています。
いざ現実に目を向けようとした時にも、現代は、二元論に引き込まれてしまう危険性に満ちた社会です。
それを避けるためには、情報に接する時、できるだけ事実をストレートに伝える情報を選択することです。
最初から絶対悪ありきの情報は、強い二元論的観念を形成させてしまう性質があるからです
優れたジャーナリストは、純客観的な視点で真実を追究するものです。
同じ批判でも、一元性に基づく質の高い情報に接することは、社会的な視野を偏りなく広げます。
今私たちは未来の路線を作っている最重要期間。
こんな大事な時に、私たちは、危機回避能力を奪われてしまっています。
それは、マイナスを見なかったことにする逃避的生き方が蔓延した結果とも言えます。
危機回避能力の喪失は、生命にたとえれば、生命力そのものの喪失を意味します。
生命において、それは生命そのものの危機を意味します。
未来を修正する第一歩は、その未来に意識を向けることです。
現実から決して目をそらさず、上記のような視点で、危機的未来に意識を向け、そこへと繋がるかもしれない現実を注視してゆきましょう!