0フォース HIKIへの想い

メルマガの登録に、メッセージを書く欄を追加したところ、みなさんいろいろ書いてくださり、ありがたい言葉をたくさんいただいております。

そんなメッセージの一つを紹介させていただきます。

0フォースをお読みくださったことがきっかけで、つい先日メルマガに登録してくださった、木葉 (きよ)さんからのメッセージです。

私が0フォースで伝えたかった通りのことを感じてくださっていて、
文章も透明感にあふれ、読んでいてとても気持ちのいいものを感じ、うれしくなりました。

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千賀さん、はじめまして。

千賀さんとの出会いは “0フォース” でした。
縄文というワードに何故か惹かれていた、
そんなときでした。
あの本の世界が大好きでした。
引き込まれるように没頭して読みきりました。
そしてあの場におられるHIKIさん。
私、ずっと木が好きで、運転していてもキョロキョロと好みの木を探すのが常で。
HIKIさんの存在を知ったときに、もう涙が溢れでてきまして、
ずっと私の奥が求めていた存在はこれだ!
って、やっと出逢えた、って心が震えました。
それから妖精になったつもりでHIKIさんに会いにいっては癒され満たされ、現実世界に戻ってきます。魂の拠り所となりました。

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実は、0フォースの中で、私が一番苦心して書いた箇所がHIKIの最初の描写でした。
観ているビジョン通りに描くのがとても難しく、たくさん時間を費やしました。

それは、私が一番伝えたい場面でもあったからです。
これは、木との交流経験がなければわからないかもしれないと思いつつ、
それでも伝えたくて、、、

その経験のある方が、その感想を書いてくれたら、それによって木々との交流感覚が蘇る人もいるだろうとも思っていました。
木葉さんのような人が現れてくれることを期待していたのだと思います。

木々と交感できる人ばかりの人類になったら、世界はきっと平和になると私は思っています。

交感できることが本来なのに、それを忘れ去り、平気で自然界を壊す人々は、
人間同士においても、同じことをします。

現代の人間は、木々を自分たちより下位の存在と見ているけれど、そうではないはず。
男性も女性も、あまりに男性原理的になってしまっているのを感じます。

私たちよりも、ずっと先輩の木々たちに、へりくだる心が縄文の人々にはありました。

ガイアの法則の論理性ばかりに着目する人が多いけれど、
私にとって、それはちっぽけなものでしかありません。

もっと真に大きな真理に着目してほしい。
いつもそう思っています。

木葉さんからのメッセージは、私にとって大きな希望に感じられました。

 

(補足)
掲載許可を求めた私への木葉さんからの返信メールも、ほんとうに透明感あふれ、感動させられました。
一部を紹介させていただきますね。

『頂きましたメールですが、
ちょうど緑がいっぱいの公園で
葉っぱの揺する音、
水の流れる音、
鳥たちのおしゃべり、
そして風を感じながら 拝読していました。』

『HIKIさんの存在は勿論のこと、
0フォースを読み終えたときに浮かんだことは
この縄文時代に生きたこの方達の血が
巡りめぐって、今のわたしの中にも生き続けているということ、
そのリアルな感覚体験といいますか…』

読んでいて、ときめきます。
言葉にはリズムがあります。
私はいつも、意味内容よりも、リズムに着目します。
リズムは嘘をつけません。
その人そのものが出ます。
その人と交流したかったら、表面上の意味よりも、そこに表れた波動と交流すること。
言葉も、木々との交流と同じですね。

 

現代にこそ大切なもの

こちらは、最近、宇宙法則メッセージに発信したものですが、啓発されたという方が多いため、こちらにも掲載させていただきます。

 

最近のメールのやりとりの中で、こんなお言葉をいただき、私は大変うれしく思いました。

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千賀先生からのメッセージが繰り返し何度も届くことでとても救われていて、

1度読んでハッとしても時間がたつとつい今までの日常に戻ってしまうし、

何度も前のメールを見直すこともしないので、定期的にいろんなメッセージを送っていただけることで、

その度に、そうだった!と思えて以前よりは少し変われた気がします。

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内容が、まさに私がメルマガで目的としていることでしたので、とてもうれしい気持ちになりました。
また、その姿勢にも感動しました。

私たちにありがちな、「これは一度読んだから知っている」という思いが、曲者なのです。
大切なのは、知っているかどうかではありません。

現代教育により、私たちは誰もが知識第一に育っています。
知識を得ることが学びであると観念づけられています。

しかし、知識を増やし、観念を増大させることは、魂の成長なわけではありません。

この傾向は、人としての感性や人間性に影響を与えています。
この、知識や観念偏重こそが、温かな人としての心を蝕んでいる現状があるのです。

昔の日本に窃盗が稀だったのも、昔の日本がそうではなかったことと無縁ではないでしょう。
自然な環境に育つ人間は、知識や観念偏重にはならないものです。

現代では、精神的な学びをしている方々の中にさえ、同じ傾向が見受けられます。
真に心の成長を目指すならば、知識よりも、実践や定着こそが重要であることは言うまでもありません。

人としての進歩が真に感じられる方は、新しい情報に次々に飛びついてはいないものです。
継続性や繰り返し、を重視している方が成長する典型タイプの人です。

新しいスピリチュアル情報などに次々に飛びつく心理は、依存症心理の場合が少なくありません。
その刺激がないと落ち着かなくなるのです。
ドラッグと同じですよね。
最初は自身の成長のためと思っていたのに、いつの間にか依存症に陥っていたという人も少なくありません。

このメルマガは、そんな現代教育や現代のスピリチュアル界などにみられる現状とは逆行する発想のものです。
同じ真理をいかに実際に定着させられるのかを意図しています。

『以前よりは少し変われた』
とありますが、これこそが至上の価値ある努力と私は思います。
「これは知っているから」を超えた謙虚な姿勢が、それを達成させているのであると思います。

これは、実在に生きるのか、観念に生きるのかの違いです。
『今』に生き、『実在』を基準に生きているかどうかです。

劇的な刺激による変化は、元にもどってしまう時が必ず来るものです。
大切なことは、昔から言われているものです。

千里の道も一歩より
継続は力なり
ですね。

こうした人の姿こそ、とても尊く私には見えます。