『時を知る手帳 2024年』と『縄文暦 2024年』が完成しております。 ご希望の方は下記事務局に問い合わせください。 ご参考に、最近いただいたメールを紹介させていただきます。 ゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜ (手帳エピソード) 今のページは「謙虚」という言葉で・・・ このページを見たとき、「あー自分には一番遠い言葉で、ちょっと難しいかもな・・」と 普段、誰よりもおしゃべりで、自分の感じたことを言葉にしていく のが好きな自分に謙虚は無理かもなあ・・と思いつつ 「世界一謙虚になれば・・」の言葉が気になって、「世界一謙虚っ てどんなかんじなんだろう・・」と 好奇心だけは強く、「謙虚は無理・・」って思いつつも、時々心の 中で「世界一謙虚」つぶやきながら探っていました。 今日、道を歩いている時も「世界一謙虚かあ・・・」とぼんやり歩 いていると、急に自分よりも、周りの木や高層ビルや目に映る存在 の方が 生き生きと存在している感覚になって、太陽の光がまぶしく強く自 分に差し込んでくる感覚になって、自分のからだが透明人間みたい な感じでした。 「あれ?もしかしたら、謙虚って、自分がなくなって、そとの存在 が自分のからだを通り過ぎるみたいなことなのかなあ・・」 「確かに、この感じは欲とかなんにもなくなるなあ・・ん?すべて が自分とつながっているからとても豊かで何にも不安がない・・ え?」 とちょっと不思議な気持ちになっていました。 ほんの数十秒、そんな感覚になっただけです。 きっと相変わらず、謙虚とは縁遠い存在の自分なのだと思うのです が、これからも時々、「世界一謙虚」という言葉を思い浮かべてみ ようと思いました。 カレンダーの言葉のおかげです ありがとうございました。 ゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜ 以下、事務からです。 ゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜ ☆『時を知る手帳 2024年』と『縄文暦 2024年』☆ お待たせいたしました! 今年も発売いたします! 今年は、この手帳のために、千賀先生から直接にいくつものお言葉をいただきました。 主に今年は、愛をテーマにしたお言葉を綴ってくださいました。 楽しみにしてください。 今まで買われたことのない方も、ぜひこの機会に! また、縄文暦の写真には、宇宙法則メッセージ『縄文の円心原理』で千賀先生が紹介した植村さんのご自宅近くの神秘的な写真を載せさせていただいています。 以下、千賀先生からです。 『植村サトさんは、白山に抱かれる岐阜の雄大な大自然に暮らした方で、普通なら助かるはずのない危篤状態から何度も蘇り、念願であったご自宅に帰ることができ、その後に98歳で息を引き取りましたが、この奇跡的に回復した日には大自然をバックに雄大な虹が出て、ご自宅に帰ることができた日には、非常に神秘的な満月が出ています。』 ほんとうに、魂が洗われるような美しい写真です。 このような雄大な自然が人間の魂を育むのでしょうね。 ぜひご自宅に置いてほしいと思います。 ゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜ ☆『時を知る手帳』 大きいサイズ(B6サイズ 2500円 送料・税込み) 小さいサイズ(A6サイズ 2200円 送料・税込み) ※わの舞の「相模原会場」でお受け取りの場合は、送料200円分をお値引きいたします。 手帳の詳細は、こちらをご覧ください↓
時を知る手帳と縄文暦☆『縄文暦 2024年』 価格は3000円ですが、講習録一部(1000円のもの)とセットでも3000円(送料・税込み)です。 講習録をお読みになられたことがない方は、ぜひこの機会にどうぞ! 講習録の詳細は、こちらをご覧ください。千賀一生の講習録☆ご注文・お問い合わせ : わの舞事務局 jimukyoku.tao@gmail.com
地の神さまと縄文の円心原理
私たち現代人は、土や水を単なる物質として認識する傾向にあります。
しかし、一昔前の日本人にとって、大地も水も神でした。
水に関わる場所は、神さまの宿る場所として尊ばれました。
たとえば井戸も、水の神さまの宿る神聖な場所として祀られるのは通例でした。
私の生まれた地域には、地の神さまを祀る、昔からのしきたりがあます。
住まわせていただく土地を、神さまからの授かりものとして大切にする習わしです。
私たち人間がこの地球という星から誕生したことは誰も否定できない事実です。
人間だけでなく、すべての生命は驚異的叡智によって成立しています。
命も、私たち人類のような知性も、それを誕生させたのは地球というこの大地です。
私たちの通常の認識で土や水をイメージしてみてください。
この土や水を放置しておいたと考えてみてください。
水や土を放置しておいても、それが生命や人間になるとはイメージできないと思います。
このあたりに私たちの認識のずれがあるように思われてなりません。
私には、昔の祖先たちの水や大地に対するとらえ方の方が、より本質をとらえているように思われてなりません。
私たちの祖先は大地を、私たちを育む母なる存在として、私たちよりもむしろ上位に認識しました。
そのような共通認識がある時、大地は奪い合うものとはなりません。
国と国との領土の奪い合いの背後には、このような母なる存在としてのおそれおおい大地への認識が微塵も存在しなくなった人間たちの傲慢さがあるように思われてなりません。
私の育った地域の地の神さま信仰では、人は五十年すると住んでいたその大地と一つになるという考え方があります。
大地に還ると言われると、物質的な世界に還ってしまうむなしさをイメージしてしまうかもしれませんが、祖先の世界観においては、大地とは大いなる魂なのです。
私たちを育む大地に還るということは、大いなる魂と一つになることを意味するのです。
もともと人間は、大地の子という認識です。
いろんな意味で今、世界は不安定になりつつあります。
それを私たちは人間社会の枠内で解決しようとします。
しかし、現代社会の不安定さの根底にあるものは、この母なる大地を忘れた傲慢さにあるように思われてなりません。
大地が大いなる魂であり、神である世界では、人々は一つに和合し、争いは起きません。
その世界無二とも言える実例が縄文の円形集落です。
縄文の円形集落においては、人と人とが争った痕跡が見当たらず、殺害された人骨がみつかりません。
この時代、集落は基本的に円形に形成されていました。
これが、土地を所有物と見なすようになると、円形の認識は失われます。
ご承知のように、円形の土地ばかりでは、土地を合理的に分割することは不可能です。
大地を人間の所有物として分割しようとすれば、直線的に区切らざるを得なくなります。
逆に言えば、円形集落というものは、大地が所有物ではなかったことをほのめかします。
この私たちの大先輩の世界観は、新しい時代に入って完全に失われたわけではありません。
それが、連綿と受け継がれてきた信仰の一つが、地の神さまでもあると私は思っております。
私たちの日本文化には、他にも様々にこの大先輩たちの叡智の名残りを見ることができます。
10月11日に発売される『現代原理をくつがえす和の原点 縄文の円心原理』は、この現代の私たちに引き継がれていながらもなかなか気付くことができないそれらの叡智を探究した本です。
歴史と言えば、私たちは権力者の歴史ばかりを学ばされてきたような気がします。
そして権力者ばかりに人々は憧れてきたように思います。
しかし、私たちが学ぶべき大切な歴史は、他のところにあるのではないでしょうか。
権力者の歴史の下で、民衆の間に連綿と受け継がれてきた歴史の遺産が日本には存在します。
この本ではうつろいゆく権力者の歴史ではない持続的な本当の歴史を綴ることができたと思っています。
(最初の写真は、私の地域に受け継がれる地の神さまの実際の写真。
毎年12月15日に必ず壊し、各家庭で新しく作りかえるしきたりです。
かなりの手間が必要です。
わざわざ手間隙かけ、行動に表すことで、大地を敬う意識が定着する知恵なのだと思います。
現代は生活の利便性のみが優先され、一見合理的です。
しかし、人間らしい精神性を失った生活は、いつかは行き詰まります。
より本質では決して合理的とは言えないのかもしれません。
これに似た習わしは、古い文化が残る沖縄地方の一部にも見られます。)
タオコード友の会
新しい会を作りました。
タオコード友の会です。性をテーマにした会です。
タオコードに共感してくださった方々からのご要望を受けての会なのですが、下記note記事に共感くださった方であれば、読者でなくてもOKの会です。
記事内の特典が入会案内となっております。
すでに入会くださった方々からいただいたメッセージを紹介させていただきます。
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noteの記事の公開、またこのような会の企画、
ありがとうございます。
このようなご縁をいただけていることに、心から感謝しております。
noteの記事を読み、
初めてタオコードを読んだときのことを思い出しました。
当時、水を得た魚のように一息で読み終え
なんだかわたしが知っている世界を言語化していただけたようで
飛び上がるくらいうれしく、
全身の血がめぐり
ワクワクが止まらなかったことを記憶しています。
今回もそのような感覚がわき出てきました。
かすかに残る記憶を呼びおこしていただいているような
懐かしいような、あたらしいような、あたたかいような
なんだか不思議な気分でもあります。
これまでずっとずっと、探していた場所のようで・・・
生きているという体感と、その深いよろこびを
ありありと感じております。
うまく表現できないことがもどかしいのですが
同じ価値観を持つ方との交流の中で
自分のなかに眠るものをまた見つけていきたいと思います。
ほんとうに、ありがとうございます。
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千賀先生、はじめまして。特典の「タオコード友の会」をありがとうございます。
「タオコード」の本から先生のことを知り、メールやnoteを読ませていただいています。「タオコード」の世界観がとても好きで、深く共感しています。先生のメッセージでも同じような方を紹介されていましたが、わたしも、庭のライラックが咲いて蝶や蜂たちが飛び回っている様子や、朝つゆに濡れる木々とその空氣感とか、眺め感じているだけでうっとりと感応し官能します。生命の悦びのうちに日々を過ごせていることや、性エネルギーについても先生の本やノートを読むにつけ理解が深まってきた、と自分自身に対して感じられること、それらがとても有り難きしあわせです。感謝しています。
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いつも宝物のような言葉たちを本当にどうもありがとうございます。感想を書きたくても言葉がまとまらないほど魂が震えています。皆さんと語り合える場をご用意いいただけるなんて、本当に幸せです。どうぞよろしくお願いします。
0フォース HIKIへの想い
メルマガの登録に、メッセージを書く欄を追加したところ、みなさんいろいろ書いてくださり、ありがたい言葉をたくさんいただいております。
そんなメッセージの一つを紹介させていただきます。
0フォースをお読みくださったことがきっかけで、つい先日メルマガに登録してくださった、木葉 (きよ)さんからのメッセージです。
私が0フォースで伝えたかった通りのことを感じてくださっていて、
文章も透明感にあふれ、読んでいてとても気持ちのいいものを感じ、うれしくなりました。
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千賀さん、はじめまして。
千賀さんとの出会いは “0フォース” でした。
縄文というワードに何故か惹かれていた、
そんなときでした。
あの本の世界が大好きでした。
引き込まれるように没頭して読みきりました。
そしてあの場におられるHIKIさん。
私、ずっと木が好きで、運転していてもキョロキョロと好みの木を探すのが常で。
HIKIさんの存在を知ったときに、もう涙が溢れでてきまして、
ずっと私の奥が求めていた存在はこれだ!
って、やっと出逢えた、って心が震えました。
それから妖精になったつもりでHIKIさんに会いにいっては癒され満たされ、現実世界に戻ってきます。魂の拠り所となりました。
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実は、0フォースの中で、私が一番苦心して書いた箇所がHIKIの最初の描写でした。
観ているビジョン通りに描くのがとても難しく、たくさん時間を費やしました。
それは、私が一番伝えたい場面でもあったからです。
これは、木との交流経験がなければわからないかもしれないと思いつつ、
それでも伝えたくて、、、
その経験のある方が、その感想を書いてくれたら、それによって木々との交流感覚が蘇る人もいるだろうとも思っていました。
木葉さんのような人が現れてくれることを期待していたのだと思います。
木々と交感できる人ばかりの人類になったら、世界はきっと平和になると私は思っています。
交感できることが本来なのに、それを忘れ去り、平気で自然界を壊す人々は、
人間同士においても、同じことをします。
現代の人間は、木々を自分たちより下位の存在と見ているけれど、そうではないはず。
男性も女性も、あまりに男性原理的になってしまっているのを感じます。
私たちよりも、ずっと先輩の木々たちに、へりくだる心が縄文の人々にはありました。
ガイアの法則の論理性ばかりに着目する人が多いけれど、
私にとって、それはちっぽけなものでしかありません。
もっと真に大きな真理に着目してほしい。
いつもそう思っています。
木葉さんからのメッセージは、私にとって大きな希望に感じられました。
(補足)
掲載許可を求めた私への木葉さんからの返信メールも、ほんとうに透明感あふれ、感動させられました。
一部を紹介させていただきますね。
『頂きましたメールですが、
ちょうど緑がいっぱいの公園で
葉っぱの揺する音、
水の流れる音、
鳥たちのおしゃべり、
そして風を感じながら 拝読していました。』
『HIKIさんの存在は勿論のこと、
0フォースを読み終えたときに浮かんだことは
この縄文時代に生きたこの方達の血が
巡りめぐって、今のわたしの中にも生き続けているということ、
そのリアルな感覚体験といいますか…』
読んでいて、ときめきます。
言葉にはリズムがあります。
私はいつも、意味内容よりも、リズムに着目します。
リズムは嘘をつけません。
その人そのものが出ます。
その人と交流したかったら、表面上の意味よりも、そこに表れた波動と交流すること。
言葉も、木々との交流と同じですね。
現代にこそ大切なもの
こちらは、最近、宇宙法則メッセージに発信したものですが、啓発されたという方が多いため、こちらにも掲載させていただきます。
最近のメールのやりとりの中で、こんなお言葉をいただき、私は大変うれしく思いました。
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千賀先生からのメッセージが繰り返し何度も届くことでとても救われていて、
1度読んでハッとしても時間がたつとつい今までの日常に戻ってしまうし、
何度も前のメールを見直すこともしないので、定期的にいろんなメッセージを送っていただけることで、
その度に、そうだった!と思えて以前よりは少し変われた気がします。
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内容が、まさに私がメルマガで目的としていることでしたので、とてもうれしい気持ちになりました。
また、その姿勢にも感動しました。
私たちにありがちな、「これは一度読んだから知っている」という思いが、曲者なのです。
大切なのは、知っているかどうかではありません。
現代教育により、私たちは誰もが知識第一に育っています。
知識を得ることが学びであると観念づけられています。
しかし、知識を増やし、観念を増大させることは、魂の成長なわけではありません。
この傾向は、人としての感性や人間性に影響を与えています。
この、知識や観念偏重こそが、温かな人としての心を蝕んでいる現状があるのです。
昔の日本に窃盗が稀だったのも、昔の日本がそうではなかったことと無縁ではないでしょう。
自然な環境に育つ人間は、知識や観念偏重にはならないものです。
現代では、精神的な学びをしている方々の中にさえ、同じ傾向が見受けられます。
真に心の成長を目指すならば、知識よりも、実践や定着こそが重要であることは言うまでもありません。
人としての進歩が真に感じられる方は、新しい情報に次々に飛びついてはいないものです。
継続性や繰り返し、を重視している方が成長する典型タイプの人です。
新しいスピリチュアル情報などに次々に飛びつく心理は、依存症心理の場合が少なくありません。
その刺激がないと落ち着かなくなるのです。
ドラッグと同じですよね。
最初は自身の成長のためと思っていたのに、いつの間にか依存症に陥っていたという人も少なくありません。
このメルマガは、そんな現代教育や現代のスピリチュアル界などにみられる現状とは逆行する発想のものです。
同じ真理をいかに実際に定着させられるのかを意図しています。
『以前よりは少し変われた』
とありますが、これこそが至上の価値ある努力と私は思います。
「これは知っているから」を超えた謙虚な姿勢が、それを達成させているのであると思います。
これは、実在に生きるのか、観念に生きるのかの違いです。
『今』に生き、『実在』を基準に生きているかどうかです。
劇的な刺激による変化は、元にもどってしまう時が必ず来るものです。
大切なことは、昔から言われているものです。
千里の道も一歩より
継続は力なり
ですね。
こうした人の姿こそ、とても尊く私には見えます。
タオ・コード英訳本
メルマガでは以前に紹介しましたが、英訳のタオコードが出版されています。
こちらでも紹介しておきます。
英訳タオコードは、アメリカのユング心理学を専門にした出版社から出版されています。
序文は、海外のユング派分析家の方が書いてくださっていますが、中国思想に精通している方で、学術的観点から評価くださっています。
また、序文の依頼を受けた時、ちょうど彼はタオコードの舞台となった雲南省南部山脈地帯に向かう最中で、そこで起きたシンクロにふれてくださっています。
下記は、その部分の和訳です。
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「シンクロニシティ」についてお話ししましょう。
Kiyose Hiromi がこの The Code of “Laozi”の翻訳を私に送り、序⽂を書いて欲しいと依頼してきたとき、私はこの本で描かれている中国南部の⼭脈地域に向かおうとしていました。
ミャオ族の村と Dong 地域と、外部の⼈たちには未だ開かれていない、古代からある⼭奥のいくつかの村へ、です。
私は、The Code of “Laozi”と A.Cheng の“Luoshu Hetu”(易経の元々の形のもの)を携えてでかけました。
ここでは、⼈々は⾃然と調和しており、無垢で素朴です。
⼭々は⾼く、川は⻑く、空気は⿃の鳴き声と花の⾹に満ちています。
古い⽊々は森となり、“朝顔”はまさに夜明けの美しさを運んできます。
⼤⼈は働き、⽥畑を耕し、織物をしています。
⼦どもは遊び、⽝や猫はともにいます。
どこをみても、全てがデジャブです。
まるで私たちは以前会ったことがあるかのように、⼼からの笑顔をお互いに交わします。
⼣⽅⽇が沈んだ後、森の中を歩いていると、⽉の光が私を包み、それはまるで夢の中のようです。
⼼と魂のトランスのような何かです。
Kazuki Chiga の The Code of “Laozi”の中で描かれているのに似た⾵景が、そこにありました。
⾃然の中の調和と調和の中にある⾃然、これが真に、⽼⼦の思想や『道徳経』の具現化されたものです。
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私たちが知る人間や人間社会とは別種の世界の香りを携えた世界が、まだ中国には健在なようですね。
人類の宝であると私は思っています。
世界の様々な先住民などを私は訪ねましたが、私にとって、中国大陸の少数民族ほどしっくりと魂に響く人々は他にいませんでした。
少数民族と言うと、中国の中のごく少数をイメージしてしまいますが、実は、中国には多数の少数民族があり、少数民族であることを名乗らないことが多いため、中国の人々の大半は少数民族出身と言っても過言ではなく、感性豊かでやさしい方が多いです。
マスコミの作るイメージに惑わされないようにしたいものですね。
翻訳者の廣瀬さんがユング関係のサイトでインタビューを受けていますので、ご覧いただけたらと思います。
https://speakingofjung.com/podcast/2022/4/8/episode-108-kiyomi-hirose
序文時を知る手帳と縄文暦
縄文暦と時を知る手帳を今年も販売します。
時を知る手帳は、ご要望にお応えして、西洋暦も加えた大き目の版もお作りしました。
ページごとの私の言葉も、すべて新しい内容としてくださり、昨年とは異なる内容です。
◎「時を知る手帳」
昨年、ご好評いただきました、縄文カレンダーの手帳版「時を知る手帳」を今年も販売したいと思います。
今年は、ご要望を受けまして、サイズを2種類ご用意しました。
①昨年と同様のもの(A6サイズ、113ページ)。2200円
②昨年より一回り大きいもの(B6サイズ、西洋暦のページを追加、140ページ)。2500円
なお、②はご注文をいただいてからの印刷となります(予約制)。
~ 手帳を作成するにあたって ~ より
「宇宙と共に生きることほど、強い生き方はありません。
日々、できるだけ軸を保った生き方を送れたらと思い、この手帳を作成しました。
日々のページに、千賀先生から教えていただいたメッセージを抜粋し、散りばめました。
太古の人は、心を込めた物には魂が宿るとされてきました。
日々この手帳を通して、大切に神様と会話するように用いてくださったとしたら、この手帳に魂が宿り、神さまからのメッセージが届きやすくな
るかと思います。
神様との会話のきっかけにもしていただけたらありがたいです。」
書店のない田舎育ちの私は、幼稚園のおわりに祖母が一日かけて国語の辞書を町まで買いに行ってくれたのですが、その辞書を、私は今も使っています。
辞書が私を守り導いている気がします。この辞書を大切にしていなかったとしたら、今の自分はない気がするのです。
いつも手にするかけがえのない神さまのような友をもつこと。
大切にしたものは、決して人を裏切りません。
この手帳を、そんな魂の友としていただけたら、と思って私は監修させていただきました。
わの舞会場での販売は、相模原会場のみで販売致します。
会場販売では、2000円、2300円になります。
少部数の制作ですので、品切れになる可能性があります。
ご注文はお早めにお願いします。
◎「縄文暦 2023年」と「講習録」
縄文暦は、正確な太陽周期で生活していた縄文の人々と同じ時間感覚で生活可能なカレンダーです。
一年が宇宙のリズム16ビートで成立しています。
一部3000円ですが、講習録との同時注文、および、わの舞講習会会場では2000円で販売しています。
講習録は、一冊からご注文できます。
ご参考までに、縄文歴について説明された講習録は【91】番となります(1000円)。
講習録の目次の一覧を添付しておきますのでご参照ください。
講習録は、どなたも参考になる内容を厳選してあります。
郵送での注文のご希望の方は、下記事務局のアドレスに「お名前、電話番号、ご住所、ご注文内容、各部数」を送信して下さい。
追ってお振込み方法などお伝えいたします。送料は、合計金額が3000円以上の場合、無料となりますが、3000円未満の場合、370円(手帳1冊
の場合は200円)が別途必要となります。
↓
jimukyoku.tao@gmail.com
返信に数日かかることもあります。もしも5日以上返信がない場合はメール事故の場合もありますので、再度ご連絡ください。
≪昨年購入くださった方々からのメッセージ>
手帳に神様が宿っている!
そう思いました。
珠玉の言葉の数々に魂が揺さぶられ、自然と姿勢が正されます。
手帳を開いたときに、ぱ〜〜っとティンカーベルのような妖精さんが舞出てきたような、清々しく喜びに満ちた気を感じ、私の背中にも透明な羽が付いたような気分になりました。
手にした瞬間 柔らかな温もりを感じました!
大切に使わせて頂きます。
読んでいるだけでこころが救われる思いです。
大切に手帳とともに過ごします。
とても可愛らしい手帳で
記入するのが勿体ないぐらいです
楽しみながら手帳を大事にしていきたいと思います。
早速この手帳が自分のお守りのように何か導いてくれているように感じます。
制作スタッフの皆様、事務局の皆様、ありがとうございます。
大切に使わせていただきます。
ページの下のメッセージが心に沁みます。
大切に使っていきたいと思います。
欠点が光を放つ動画
最近感動した動画を紹介したいと思います。
小学校で踊れる踊りはありませんかという要望があり、あるアニメソングでの踊りを思いつきました。そのアニメソングは「残酷な天使のテーゼ」という曲です。
そのアニメ自体には関心はありませんが、私はこの曲の歌詞に感心していたからです。
親子の関係には二元性が働くものですが、その二元性こそが、時を超えた一元性を成立させる。それが短い詩の中に感覚的にとらえており、その感性に感心しました。
最初にこの歌を聴いた時、涙が出ました。
おばあちゃん子で育った私は、祖母の私への思いと重なり、また、私自身の息子への思いと重なったからです。
とくに「この宇宙を抱いて輝く 少年よ 神話になれ」のセリフは胸を打ちます。
ぜひご存知のない方は一度お聴きただけたらと思います。
様々な方がこの歌をうたっているのをネットで見ていたら、別な意味で衝撃的に感動させられた動画に出会いました。
最初、おゃ、と思うかもしれませんが、見ていると、この人は半端じゃない、とわかる人は思うことと思います。
私は、こんな人が現実にいるんだと、目が覚めるような感動を味わいました。
自意識のブレーキがまったくかかっていない!
人の視線に対する恐怖心がない!
ふつうの人は、ちょっとうまくゆかないと、比較意識が働いて、尻込みしてしまうものですよね。それが微塵もない人っているんですね。最強の精神力だなぁと思いました。
通常は、音程を外せば歌は気持ち悪いものになります。でも、この方の歌は何か別な次元に引き込まれます。
なんだかわからないけれど、何かが解放され、気分はすっきりしたと感じる人も多いのではと思います。心に闇があっても、吹き飛んでなくなるんじゃないかと思えてくるものがあります。
ある意味で本物の芸術、枠組みを突き破った人間芸術だなぁと、衝撃的に思えました。
どんな方なのかと他の動画を見て、驚きました。
この長野じゅりあさん、何と、空手の元世界チャンピオンでした。
やはり、この半端なさはそうですよね!
一つの道を極めた人でした。人間としての、強い軸力。
さすがに、型の演武もすばらしいです。
型は踊りにも通ずるものがあります。
実際、琉球舞踊は空手の型から生まれましたし、私の踊りにも空手の型と本質的に同一のものが流れています。
でも、この歌は私には型以上に衝撃的だったなぁ。。。
ちなみに、こんなのもありました。素晴らしい解放感!
羽生結弦に見る芸術の力
スポーツの世界は競争世界です。
競争世界のそのものと言ってもいいと思います。
そんな過酷な世界の中から、
競争(対立性)とは正反対の世界が生まれる。
私は、フィギュアスケートの羽生結弦選手にそんな感動を感じてきました。
私の子供のころの夢の一つは、フィギュアスケートの選手になることでした。
その頃はまだ、フィギュアスケートは今のように注目されているスポーツではありませんでした。
その頃に漠然と描いていた夢を、
自身のかわりに現実にしてくれているかのようで、
私は、羽生選手の生き方に共感してきました。
羽生さんの海外のファンは、他のどの国よりも中国のファンが多い。
これは、ほんとうに驚きであると思います。
政治世界では最も対立的になってしまった日本と中国であるにも関わらず、
そんなことはまったく関係なく、日本人の羽生選手を応援してくれる中国の人々。
実に対照的世界を感じます。
通常ならば最もファンが少ないはずの中国なのに、
羽生さんの芸術性を、どの国よりもまっすぐに見つめてくれる中国のファンたち。
その流れを生み出した、震災で故郷を失った経験をもつ羽生さんの、
すべての人々を幸せにしたいという想いと感性。
相互の響き合いが美しい!
フィギュアスケートという枠を超え、その全体の関係性が、
広大な芸術のように私には感じられます。
真の芸術は、人類規模の芸術作品を生み出すのだと思います。
ますます、プロとしての今後のご活躍を期待したいです。
日本は再び戦場に⁈ -ガイアの法則が語る日本の近未来
恐怖への向かい方で、未来は良くも悪くもなる
「生き方を学んで人生を改善しようとしてきたけど、振り返ると何も変わっていない」
そのように言う人に私はたくさん出会ってきました。
そうした中で、いくつかのパターンを私は見出しています。
その一つは、恐怖心への向かい方の錯誤です。
恐怖心や不安感はマイナスエネルギーだから、それから遠ざからなければ…
と、それを感じるものから目をそらし、見なかったことにしようとしている人が多いのです。
さも正しそうに見えますが、これは、二元論的発想の典型です。
不要なものは切って捨てればいいという、短絡的な手術にも似た、善悪二元論なのです。
人間の体に自然治癒能力があるのと似て、私たちの意識には、『危機回避能力』が、備わっています。
人間は誰もが人生上の事故、すなわち、様々なうまくいかない出来事、悲惨な出来事に遭遇します。これは確率的に当然のことです。
しかし、人間には、自然治癒能力と同じように、これをあらかじめ避ける能力(危機回避能力)が備わっています。
これが正常に働けば、人生上の事故は避けられるわけですが、上記のような、切り捨て的あり方は、その力を放棄させてしまいます。
(このような状況の改善を意識して書いた本が『タオの法則』です。とくに五章など参照ください。)
マイナスの事象に対してエゴが反応し、心が揺らぐ時、それは恐怖心や不安感になります。
それはたしかにマイナスの力を放ちます。
しかし、軸のある人は、その同じ対象に直面しても、恐怖や不安ではなく、不動の心で向かい合うことができます。
この時には、単にマイナスにならないだけでなく、それ以上の働きが生じます。
それが『危機回避能力』です。
これが働くと、前方をしっかり見ながら行う運転のように、人生は本人の必要とするところに進んでゆくものです。
意識の世界には、ハナせばハナれる、という法則が働きます。
起きてほしくない予感を感じた時、それが起こるのではないかと一人でびくびくしていると、そうなってしまうことが意外に多いものです。しかし、その起きてほしくない予感をたくさん人に話すと、それが現実になることはなぜか少なくなるという経験はありませんか?
たくさんの人に話すことで複数の人の意識がその対象に焦点を結び、その出来事への路線を変容させるからであると考えられています。

いくつかの未来を当ててきた人が、何月何日に地震が起こると表明し、それまでは一部の人しか知らなかったのに世界中がそれに注目し、その日が来ると何も起こらなかったということもよくあります。良い予感は実現するまでは人に話さない方がよいと言われるのも、同じ理由によるものです。
地球は、太陽系としっかりとかみ合うから、小宇宙として成立します。これと同様に、現実世界にかみ合うことにより、『軸』、すなわち、「宇宙と共振する自身の中枢」は働き始めます。(軸についてはDVDの『タオの宇宙を極める』などを参照下さい)
その対象を本気で直視しさえすれば、その回避は、「宇宙と共振する中枢」が自動で行ってくれるものであり、その性質は、自然治癒力と非常によく似ています。 本来、意識は、情報を受けると、自動的にその人に必要な状態をつくりあげるものですが、恐怖などの二元意識に至るとその逆作用をもたらします。
まとめると、マイナス情報をキャッチした場合、次のように言えます。
・二元次元にある人(エゴ優位の状態) =それを引き寄せてしまう
・一元次元にある人(軸が働いている人)=それを回避する
この宇宙には不要なものは存在しません。
不安感さえも、視点を変えれば必要ゆえに存在しています。
自然治癒能力が失われれば病気になってしまうのと同様、この力が働かなければ人生上の問題が多発するのは当然のことと言えましょう。
自動車の運転で習うことに、「かもしれない」運転というのがあります。
あの道から子供が飛び出てくるかもしれない、といった危険をあらかじめ察知して運転をするから、事故を回避できます。それをしなかったとしたら、当然ですが事故は増大してしまうのと似ています。
かもしれない運転をしたら、マイナスイメージはマイナス現象を引き寄せてしまうので、と行わない運転をしていたら事故にあってしまったという、笑い話のような本当の話があります。
しかし、人生上では、これを行っている人が多いのです。
社会の中に苦しんでいる人たちがいても、そこに意識を向けると不安が生ずるからという狭い意識の生き方をすべての人がしたとしたならば、どうでしょう。
私たちの社会は自分勝手なばらばらな社会になってしまいます。
私たちが社会のマイナス面に意識を向ける時、私たちの集合意識は集団軸を結び、危機回避能力が働き始めます。
次に提供する情報は、以上をご理解の上、恐怖ではなく、純粋に一元意識で注視していただけたらと思います。
101年前とあまりによく似た日本の近年の歩み
以前、コロナに関して、ガイアの法則から割り出される101年周期(歳差運動から割り出される1611年サイクルの1/16周期)についてふれました。
今も不自由な生活が強いられている私たちですが、コロナからちょうど101年前に、スペイン風と呼ばれた感染病の地球規模の蔓延により、世界中が不自由な生活に追い込まれました。
さて、日本で最大級の影響をもつ人物が射撃されるという、日本ではあり得ないような悲劇が起きた今年2022年ですが、今年から101年前を見てみましょう。
少し怖くなるほどの歴史が存在するのです。
今年から101年前、それは1921年です。
この年に起きた衝撃の事件があります。
それは、当時の総理大臣・原敬がほとんど即死状態で暗殺されるという、日本では前例のなかった大事件です。
この事件は、被害者が当時の日本で最大級の影響をもつ人物であり、その場でほぼ死亡状態に至ったこと、それが組織的なものではなく、社会の不合理に加担したことを許せない単独犯であること、重大な事件を起こすようには見えない物静かな細面の犯人像なども今回の事件と共通しています。

原敬暗殺犯の中岡 艮一
しかも、出来事だけでなく、詳細は省きますが、その背景となる社会の考え方、方向性、方針などの変化も、101年前とそっくりの変化をたどっています。
今後の流れが気になるところですね。
101年前とその後の日本は、国は強権性を強め、民衆の価値観も強い二元的方向へと誘導され、気付いた時には上意下達式社会となってしまい、悲惨な戦争へと進みました。

今、日本との関係が最も危険な関係となりつつある国は中国です。
前周期では、その後、最初に戦った国が中国でした。1931年、ついで1937年と、中国との戦争へと進み、さらに悲惨な大戦へと突入しています。
経済の上でも、1927年に金融恐慌、1929年に世界恐慌へと至っていますが、私たちも今、パンデミックやロシア・ウクライナの戦争などにより、大変な経済の不安状態に直面しており、類似の状態に至ることが危惧されています。
また、政治と宗教の癒着も今日の状況とそっくりで、100年前の日本も政治と宗教団体が強い結びつきを形成していました。 (『日本の戦争と宗教1899ー1945』 小川原正道著 講談社 などが参考になると思います)
そして、その結びつきが、日本を軍国主義へと推し進めました。
このように、これは、局部的一致ではないのです。
社会情勢全体に高い一致が見られ、私たちの社会は同じような路線を歩んでいるのがわかります。
(もちろん、歴史は機械的に繰り返されるものではありませんが、101年周期は、世紀末現象といわれてきた周期と同一と思われ、昔から存在する周期ではありますが、ことに前回のサイクルと今回のサイクルは高い一致が見られます。
なぜ前回と今回の一致が濃厚であるかについては、次のように私は推測しています。
歴史には元々、同じパターンが繰り返される性質があります。
前回の周期は、日本が近代化して初めての周期であり、一度フラットになった状態から新たなパターンが形成された最初の周期です。
そのため、新たな長期周期の最初のパターンとして、強い影響力もっているのではないでしょうか。世界的にも前回の周期は人類が地球規模で活動を開始した初めての時代であり、世界規模でも新しい世界の始まりでした。)
日本には、新文明焦点として、世界を真に一つに調和させる役割があると私は思っています。
しかし、ジャンプの前には踏み込みがあるように、社会も、飛躍の前には必ず沈み込み現象が起こります。
日本はその期間にすでに入っており、2048年までがその期間にあたると私は以前から分析しています。 (2012年から入り、2021年から本格的な段階に入っている)
とくに警戒すべきは、社会のメンタル(社会観念)の符合です。
歴史は、社会のメンタルが形成され、それが現象となって進行します。
現在のメンタルが前周期と同一であることは、現象も同一となるであろうことを意味します。
周期通りに進めば、私たち日本人は再びこの同じサイクルに戦場に導かれることを、周期は警告しているように私は感じます。
ウクライナのような戦場となる悲劇は、決して他人事ではありません。
そこに繋がるような事象に、意識の目を注ぐことが、今、必要です。
真に調和的地球社会に至るためには
私たちには誰もが社会という全体性から恩恵を受けています。それと同時に、その全体性に責任を負っています。今現在の私たちの思いや行動によって未来の人々の幸せは、大きく左右されます。私たちの子孫が幸せな日々を送れるのか、それとも死と隣り合わせの悲惨な未来に直面するのか、それは現在の私たちにかかっています。
いざ現実に目を向けようとした時にも、現代は、二元論に引き込まれてしまう危険性に満ちた社会です。
それを避けるためには、情報に接する時、できるだけ事実をストレートに伝える情報を選択することです。
最初から絶対悪ありきの情報は、強い二元論的観念を形成させてしまう性質があるからです
優れたジャーナリストは、純客観的な視点で真実を追究するものです。
同じ批判でも、一元性に基づく質の高い情報に接することは、社会的な視野を偏りなく広げます。

今私たちは未来の路線を作っている最重要期間。
こんな大事な時に、私たちは、危機回避能力を奪われてしまっています。
それは、マイナスを見なかったことにする逃避的生き方が蔓延した結果とも言えます。
危機回避能力の喪失は、生命にたとえれば、生命力そのものの喪失を意味します。
生命において、それは生命そのものの危機を意味します。
未来を修正する第一歩は、その未来に意識を向けることです。
現実から決して目をそらさず、上記のような視点で、危機的未来に意識を向け、そこへと繋がるかもしれない現実を注視してゆきましょう!